喜怒哀楽

気がつくと7月に入り、梅雨も明けてしまった…

5月から抱えていた件が少し落ち着いてきました。
でも精神的に受けたダメージは相当あって(後で気がついたことなのですが)床がぐらりと揺れたり頭痛がひどくて動けなかったり…と、まぁ自分のメンタル面の弱さを痛感したのでした。
気がつくこともたくさんあって、また1つ壁を越えたことには変わりないのだけど。
ちょっとそれを整理しようと思います。

まず、喜怒哀楽を知ること。
特に「怒」についてはコントロールが一番難しいといいます。
私はここが自分の中で気がつきにくく、「あれ?なんだこのもやもや」って後になってふつふつとくるみたい。
「はぁ?」「何やと?」と思った時点でたぶん怒っているんだよね。
でもそこで蓋をする癖があって…これはコントロールの1つのやり方としていいのかもしれないなと思うのだけど、その後よね。
「わけわかんないけど、すっきりしない、もやもや」をどうにかしないと蓋をしてても別の場所からどっかーんと出てくることもあるわけですよ。しかも関係ないところにさ。
なので気がついた時点で空中に叫んだり(もちろん一人でね)、こそーりと「私はこう思ってたのにー」とぶちまけたりしようと思います。
相手にぶつけられるならそれがいい時もあるけど、ぶつけられないことが多いしね。
怒りの裏は「自分の中にあった望みとか希望」があってさ、それはそれで昇華させてやらんとなーと思った次第です。

はい、次。
自分のどす黒いドロドロしたところも認めること。
向き合いたくなかったんですよ、ずっと。自分のドロドロ。
でもそれって「消す」前提で考えてたんだなーと気がついて、「消えない、むしろ当たり前のもの」「私の構成要素の1つ」だと受け入れると楽になりました。
自分のどこかで「クリアでいなければ」と思っていたところがあって。
でもこの部分があるからこそ、たぶん今の仕事ができるし生活ができるしコトバが出せる。
呑み込まれそうだったものは案外手のひらに納まるものだったのだという感じ(笑)

はい、3つ目。
専門職としての距離について。
誰かと関わった時点で何かが変化していて善くも悪くも必ずしも思ったところにいくわけではないのですよ。
今回のケース、私が思っていたところとは別のところへあれよあれよと飛んでいきました。
そのたびに挫折感。「自分がしたことは間違いだったのか」と自責と振り返り。
私が関わったことで悪化させてしまったとしたら…と専門性もへったくれもなく、仕事をこえて自分自身を否定しそうになりました。
1つ目に見えて変わったのは家族関係の変化。
変化の際には痛みやつらさも伴うけど、対人援助職というのはそれを見ることを避けられない仕事なんだと痛感。
あくまで仕事として客観的に見る距離にいると自覚していないとなーと感じました。
メンタルが左右されるのも人間だから仕方ないのだけどさ、でもだからこそ自己覚知してコントロールしないとね。

もうすぐマヤ暦の時間をはずした日が来ます。
あっという間だったなぁ。

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